環境問題スクラップ帳

環境問題の英文ニュースを集め、冒頭を訳して紹介します。引用元で続きを読んでください。英文多読に便利です。

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【コラム】環境問題について僕が思うことを率直にまとめてみた

このブログ(「環境問題スクラップ帳)を始めて、1月半ぐらいが過ぎた。このブログは、「スクラップ帳」という名前のとおりに、いろんな記事を集めているだけの内容だ。僕自身の意見は、ほとんど含まれていない。


それは、何かジャーナリスティックな意図や翻訳する人間としてのプライドとして、自分の意見を入れないように気をつけている、というのとは少し違う。「(少なくとも今のところ)僕には、これといった意見や主張がない」というのが正直な実感だ。


ただ、まとまってないだけで、思うことは色々ある。自己紹介がわりに、自分の中でも今後の方向性を少し明確にするためにも、ここまでに思ったこと、疑問に思っていることをまとめておきたい。


①環境問題、あんまり(日本で)流行ってない

環境問題が人々の意識や話題に上がること、新聞の見出しになること、なんか減ってるな、という気がする。誰の関心にもないなら、選挙の争点にもならないだろうな、と思う。


ちゃんと調べてないから、肌感覚でしかないんだけど、2000年ぐらいの時のほうが、「切迫した重要問題」として捉えられていた気がする。そこから、環境破壊も、石油燃料の使用も地球温暖化もだいぶ進んだと思うんだけど(ひょっとして、進んでないのかな?)、「問題意識」は後退してる気がする。


やっぱり、2011年の東日本大震災以降の災害続きで、ちょっと範囲が広いこと(地球規模のこと)や、長期的なこと(子どもや孫の世代の心配)を考える余裕がなくなったからかな?


「環境問題に興味を失う要因は何か」に、僕自身は興味がある。僕自身としては、「人類存続っていう結構難しそうなミッションに、みんなで知恵と勇気を出しあったら面白いな」みたいに思ってるけど・・・

(僕自身のツイートです↑)


このデカすぎるピンチを前にして、「貧富や男女の格差の解消」とか、「より賢い経済のあり方」とか、「迅速かつヒステリックにならない集団での意思決定」とかを、日本国内でも世界規模でも洗練させるしかなくて、それができたら人類かっこいいな、みたいな。

 

②環境問題を語る人って、なんかうさんくさい

あくまでも個人的な印象なんだけど、環境問題を声高に言う人って、「なんかうさんくさい」という感じがある。


有名人やお金持ちが「ファッション」としてエコフレンドリーを演じている、みたいなのとか、あるいは何らかの強い理想を持った人が狂信的に叫んでいたり、心がひねくれてしまった人が、誰かを攻撃するために環境問題を持ち出す、というようなイメージ。


人々に注意喚起を呼びかけるアプローチとして、「このままでは人類が危ない」というような恐怖を突きつける手法だとか、あるいは「このかけがえのない母なる地球」みたいなキラキラすぎるイメージみたいなものが多くて、「ニュートラルな感性を持った人」ならちょっとウンザリしてしまうような感じが、「この界隈」にはある。


だけど僕は、だからと言って「環境問題とか語ってる奴はクソ」みたいな片付け方はやや「雑」すぎるかな、と思う。端的にいって、みんなが当事者なんだから。


「金持ちや有名人、大企業には、環境問題に役立つ活動をするとオシャレ」っていう雰囲気を庶民が作って、どんどん人々の役に立つことを続けてもらえばいい。それに、理想を強く信じる人だって、集団にはある程度の割合必要な気がする(視野が狭くなるのは困るけど)。


それよりも、「なんかウザい」と言って思考停止に陥っていた僕が、「自分なりのウザくないアプローチを見つけて、「環境問題を考えること」ができたらいいな、と思う。

(それが、環境問題の記事を翻訳することで理解する、というこのブログの生い立ちなんだ、と気づいた。コラム書いてみてよかった)


僕としては、「ユーモア」が必要かな、となんとなく思ってる。綱渡り的に、ものすごく賢い選択と行動を重ね続けないといけないんだから、恐怖とか、(恨みまがいの)正論とか、盲信とか、そういう視野が狭くなりやすいような精神状態はあまりふさわしくない。そんな気がしてきた。

 

③環境問題って、分かりにくい

ブログ立ち上げから1ヵ月半、いろんな英文記事に目を通してきて「分かりにくい」という感想をうすうす感じて来ている。


いろんな国際協定、認証、団体があって、それぞれの頭文字が同時多発的にある。まるで、誰かがわざと分かりにくくしたみたいだ。「環境問題は分かりにくくて、面倒くさい」という状況にした方が得する人々がいるんだろう。


でも、それは僕が無知なだけで、これから学んでいけばいい話のような気もする。それよりも、もっと根本的な「分かりにくさ」がある気がして、それが今のところの僕にとっては興味深い。


例えば、「牛肉を食べること」は環境負荷が結構高いらしい、ということを調べてみた。牛に食べさせるための飼料を運ぶにも、(環境的に)コストがかかる。「げっぷ」や「おなら」でメタンガスが出て、それはCO2よりも温室効果が20倍以上高い。飼料を栽培するために、熱帯雨林を破壊してる。そうか、なるほど。「ハンバーガー1個で、車を200マイル(320km)走らせるのと同じ」という記事もあった。

参考:Did you know that the production of one burger emits as much greenhouse gas as a drive of nearly 200 miles? - Simply. Live. Consciously.


「ハンバーガー1個で、車を200マイル(320km)走らせるのと同じ」というのは、すごく分かりやすいな、とはその時は思った。でも、僕にとっては、それでも「分かりやすさが足りない」気がする。


「車を320キロ走らせることって、どのぐらいヤバいことなんだろう? もし、環境に負荷はかけるけど心配するほどではない程度なんだったら、ハンバーガー食べたいんだけど・・・」みたいなことを、(半分は冗談だけど、半分は本気で)思ってしまう。なにしろ、「牛肉の美味しさ」はこの上なく分かりやすい。その喜びを、安易に否定していいものか、僕は簡単には決められない。もし僕が牛肉をあきらめたとしても、友人に「やめろよ」って言えるだろうか。


生物多様性の大切さ、も調べてみた。「生物の進化とは、地球の様々な場所、時代の環境に適応してきたことであり、生物の種とは生命の知識だ」「一度失われたら取り戻せない」「植物がなければ酸素はなく、虫がいなければ授粉もない」「人類が繁栄して以降、地球上の種はそれ以前と比べて1000倍の速度で絶滅している」とか。

※参考:What is biodiversity and why does it matter to us? | News | The Guardian

 

「生態系がもたらしている人類への恩恵は、経済的価値に換算すると1年あたり33兆ドル。世界全体のGDPは60兆ドル」とか。

※参考:生物多様性の重要性|生物多様性って?|特集「生物多様性」|WWFジャパン


ここまで分かりやすく言われても、本当に身にしみて「ピン」とくるとは言えない。これも半分冗談だと思って聞いてほしいんだけど、「植物の種類が半分になったとしても、その半分で二酸化炭素が吸収できるんだとしたら、ギリギリ大丈夫なのでは?」などと思ってしまう。


もちろん、僕は生物多様性が損なわれてもいいとは思っていないし、「1000倍の速度」というのは端的に言って怖い。でも、本当にバカみたいなことを言うけど、「クーラーの効いた快適な室内」なんかは、「ものすごく分かりやすく魅力的」なのだ。


僕としては「恐怖に訴える」「必要以上にエモーショナル」なアプローチでなく、もっとシンプルで強いデータの提示が必要かな、と思ってる。そういう言説もきっとあるだろう。僕はまだ自分の言葉で何かを語るほど何かを知ってるわけじゃない。今後、「僕自身が納得できる分かりやすい受け取り方」を見つけることができたら、それは誰かのためにではなく、僕自身の精神衛生のために相当助かることだな、と思ってる。


④それでも、真剣に語りたい

「流行ってない」「うさんくさい」「分かりにくい」のどれも僕の率直な印象なんだけど、それでもなお、「真剣に語りたい」との思いはある。


このブログでも何回か紹介したけど、グレタ・トゥンべリという環境活動家がいる。彼女はスウェーデン人16歳の少女で、ノーベル平和賞にノミネートされている人物。でも、そんなことはいい。僕は、彼女のスピーチの真剣な話し方に心を動かされた。

 

www.youtube.com

(ぜひ、このスピーチを通して聞いてみてください。上に貼ったリンクの動画は、英語字幕も日本語字幕も表示可能なので、英語の勉強にも最適です)

 

スピーチの締めくくり部分から少し引用する。「普通なら、締めくくりに希望について話すでしょう。でも私はそうしない(もう、30年も前向きなアイデアについて話したけど、何も変わらなかったから)」と話した後の部分が好き。

 

And yes, we do need hope. Of course we do. But one thing we need more than hope is action, Once we start to act, hope is everywhere. So instead of looking for hope, look for action. Then, and only then, hope will come.


(訳)ええ。希望は必要です。必要に決まってる。でも、希望よりもっと必要なのは行動です。動き始めたら、希望が満ちてくる。だから、希望を探すのではなく、行動を求めましょう。そうしたら、その時にだけ、希望がやってくる。

 

僕の翻訳が未熟で、「スピーチの上手な人が話しそうなレトリック」程度にしか伝えられてないけど、その内容よりも、真剣な話し方に僕は胸を打たれた(内容だって素晴らしいんだけど、それはそれとして)。 

 

「この少女は、自分の信じていることを、真剣に話している」と感じた。「その真剣さは、分かりにくくもないし、うさんくさくもない」とも思った。もっと言えば、「図々しかもしれないけど、僕もこんな風に真剣に話したい」と憧れた。甲本ヒロトや、忌野清志郎に対して抱く感情と似た、正直言ってミーハーな気持ちだ。


でも、僕にとってはこっちの方がピンとくる。その「ミーハーな憧れ」が僕にとっての環境問題かな、と思った。「誰もが当事者であるはずの問題に対して、僕は耳を塞がずに考え続けた」と思えるようになりたい、という超個人的な、エゴイスティックな野望。これが、僕が環境問題に興味を持った理由なのかもな、と。

 

今日のところは、ここまでにしておきます。「コラムを書く」というお題を自分に与えると、書きながら考えることができるので、これからも時々は僕自身の思いを書きたいな、と思っています。よろしければ、お付き合いください。

 

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